昨夜PKYと『かぐや姫の物語』観てきました。
ご存知スタジオジブリの高畑勲監督作品です。
すごく良かったです(´∀`)涙
お金払って観ても納得の1本でした。
(ちなみにPKYはこの秋から50歳になったので、夫婦ふたりとも1、000円で映画観れるんですよ!50バンザ~イ!)
やはりどうしても比べてしまうのが、この前観た宮崎駿監督の『風立ちぬ』ですが、私は断然こっちでしたね!
『風立ちぬ』も監督の思いがこもった美しい作品で、決して嫌いではないのですが、正直私はおもしろいとは思えませんでした。
でも『かぐや姫の物語』は、誰もが知っているあの竹から生まれたかぐや姫が美しく成長し、月へ帰るという単純なストーリーにもかかわらずおもしろかったです。
最後のあたりPKYも大泣きしてましたね。
私も大泣きw
泣く映画が何より嫌いな私なのですが、これは悲しい涙ではなくて、何だろう、すごく納得いく?涙だったのです。
というのも、最後あたりは私はこのかぐや姫とカラスのあーちゃんを重ねて観ていたのです。
(あーちゃんを知らない方はコチラのブログ「あーちゃんの旅立ち」の追記をどうぞ)
どちらも人が見つけて一生懸命お世話して、心も通じ合って幸せな時を過ごしたけれどやがて人の元を去って自分のいるべき場所へ帰ってしまう。
そして帰ってしまえば人との暮らしはみんな忘れてしまう。
話はそれますが、私があーちゃんと関わって思ったことは、「野生なんか飼うもんじゃねえ」ですw
決して苦労するからとかそういう意味ではなく、野生には「人が届かない野生」があるということです。
あーちゃんを育てたとき感じた「野生」
時々どこかここではない遠くを見るような目をして、それをみるたびにピッピ(インコ)を育てたときとは全く違う感覚?間隔?を意識させられました。
あの目はとても人がコントロールできるものではなかったし、ずっと一緒にはいられないんだという未来を写しているようでした。
かぐや姫にも時々そんな「人」ではない不思議な感覚を感じました。
あくまで私があーちゃんとの生活を重ねてみただけで、映画は別にそんなことは言っていないですよw
かぐや姫はむしろ「人」として笑い、泣き、怒り、そのときどきを懸命に生きたと思います。
そういう「今」を生きる強さや美しさが、生き生き描かれた気持ちの良い映画だったと思います。
でもそんな自分だけの感覚にシンクロするような感覚を与えられるって、やっぱいい映画なんじゃないかな。
かぐや姫を自分の失った大切な人に重ねて観た人もきっといると思いますね。
『かぐや姫の物語』は日本が誇れるアニメだな~って思います。
でも映画館は平日のレイトショーだったこともありガラガラでしたが、人気ないのかな?
たくさんの人が観ればいい映画だと思うのですが(^^)
しかし高畑勲って78歳なんですね!
この映画は8年くらい制作にかかっている(構想自体はもっと長い)らしいのですが、本当に体力のいる仕事だったと思います。
すごい老人だ~!
そして高畑勲といえば私の大好きなハイジですが、かぐや姫もハイジも自然を愛し、いつもそこに帰りたがっていたところが似ていますね。
やっぱ高畑勲の原点なのかな。
パーチェさん、オススメしてくれてありがとう!
観て良かったです~(^^)